はじめまして!
名古屋栄駅前ふくはら大腸肛門外科・消化器内科 院長 福原政作と申します。
このたび名古屋栄駅前に肛門と大腸の専門クリニックを開業いたしました。
皆さんは出血や痛みなど、おしりの不安が生じた時、すぐに病院にかかられますか?
肛門科は恥ずかしさから誰にも相談しづらく受診すらためらわれる科です。
また大腸検査においても不安や恐怖心を持つ患者さんが多数おられます。
今よりも肛門科や大腸検査のハードルをできるだけ下げて、安心して来院していただけるようなクリニックをめざします!
愛知県名古屋市出身名古屋育ち 学生時代は香川県高松市
うお座 O型 典型的なO型ですが、仕事中はA型人間に変身(と自分では思っている)
動物占い:磨き上げられたタヌキ
家族 : 妻と一女一男の4人家族+老犬一匹(黒柴)
スポーツ:ランニング スイミング ロードバイク ウインドサーフィン(腰痛のため休止中)
好きなこと: 食べる 読む 走る 泳ぐ こぐ 乗る
好きな食べ物:寿司(回るのも回らないのもどちらも大好き) カレー(週一ココイチ) うどん(元うどん県在住)
最近はまっていること:某名古屋製のホーロー鍋で男料理(カレーばかり)
好きなテレビ:脱力タイムズ
好きなマンガ:宇宙兄弟 ワンピース
好きな作家:司馬遼太郎 筒井康隆 村上春樹 (乱読)
好きな俳優:モーガン・フリーマン
好きな動物:犬
「ブラックジャック」
自分のようなアラフィフ世代を中心として、ほとんどの医療従事者が影響をうけたバイブル、といっても過言ではないでしょう。自分の出会いは小学生の時。私はマンガが大好きでした。ドカベンやマカロニほうれん荘(みなさん知ってますか)など、当時ヒット作揃いの少年チャンピオンの中でもブラックジャックに一番夢中になりました。毎週友人の家に行ってはひとりだけファミコンせずに読みふけっていた思い出があります。最近子供と読むため(という言い訳で)愛蔵版を追加で買ってしまいました。いまだに仕事で悩んだり迷ったりした時にふと思い出して読み返したりもします。この頃から外科医を目指したわけではありませんが、明らかに影響を受けています。
「ガンプラ」
小学校の時、流行っていたガンダムのプラモデル。(最近プラモデルってまだあるんでしょうか?)小学校時代、周囲の友人から「よくできている」「器用」とほめられ、調子に乗って小遣いを全投入してやすり、塗料やパテ、しまいにはお年玉でエアーブラシ(塗装用の道具)まで買ってしまいました。ザクを改造して旧ザクにしてみたり、ゴッグ(ズゴックではない)の肩が回るように改造したり、パテで盛って胸板厚くしたり。(オタクすぎて誰もわかりませんね) この頃からなんとなく手先を動かす職人系の仕事に興味を持ち始めた憶えがあります。
「けが」
中学・高校時代はハンドボール部でしたが、高校時代に大きなけがをして1か月以上入院しました。長い入院の間、一日中ベッド上での安静を強いられ、それまでは漠然としかイメージしていなかった自分の将来についてしっかり考えられる良い機会になりました。当時周囲に医者志望の友人が多かったこともあり、自分も医学の道を進もうと決心しました。
「ヨット」
大学時代は瀬戸内海に面した香川県高松市で過ごしました。名古屋に住んでいる時よりも海がグッと身近になり、せっかくだからやったことのないスポーツをやろうとヨット部に入部しました。これが自分にとってターニングポイントの一つとなりました。
おしゃれでさわやかなマリンスポーツのイメージと完全に真逆の世界。強風でも凪でも暑くても寒くても土日は全て絶対服従の先輩と二人っきりで朝から日没まで海の上です。大雨の時だけ中止になりますが瀬戸内気候は雨の日が少なくてなかなか休みになりません。大学生でありながら週末遊びにもバイトにも行けません。自分の想いと裏腹のハードで理不尽な体育会系部活に、今思えば18年間ゆる~く適当に生きてきたこらえ性のない若造が急になじめるはずも無く、暗い学生時代を送る破目になるかと思われました。しかし幸いに良い友人に恵まれ、叱咤されてなんとかやめずにつらい時期を乗り切り、最終的にはレースで良い成績も残せました。この頃の仲間とは今も一番付き合いがあり、当時の経験がその後の人生観や仕事観につながっていくことになります。
「肛門科」
なぜ肛門科を志したのか?よく質問されます。卒業していきなり肛門科を目指すわけではありません。肛門科は「外科」の一分野です。「一般・消化器外科」の中でさらに臓器別に「大腸・肛門外科」に分かれます。現在、医師になると卒後ローテート研修といって何科を専門にするにしてもまず内科・外科・小児科・婦人科など主たる科を回って最低限の経験を積むことになっていますが、25年前は名古屋大学などごく一部の大学のみが行う研修方式でした。私は2年間の研修の半分以上を麻酔科で過ごしました。もともとは外科系志望でしたが、具体的に何の外科に行くかまでは決めていませんでした。麻酔科にいれば手術室でほぼ全ての科の手術をつぶさに見ることができます。また、当時勤務していた病院のある麻酔科の先生の仕事のかっこ良さに心を奪われてしまい、とにかくその先生の指導を受けたかったことから他科の研修を早々に終わらせて麻酔科研修に入りました。その先生の下での仕事はあまりに楽しく、もうそのまま麻酔科に入局する勢いでしたが、途中その先生が転勤になってしまった途端に熱が冷めてしまいました。麻酔科研修医として様々な手術を見た結果、一般消化器外科の道を歩むことにしました。当時は自分がまさか肛門科医になると思ってもみませんでした。
「餅は餅屋」
「アッペ・ヘモ・ヘルニア」という言葉があります。
若手外科医が最初にマスターすべき登竜門的な3つの手術をこう呼びます。
アッペ→盲腸の手術
ヘモ→イボ痔の手術
ヘルニア→そけいヘルニア手術=脱腸の手術
ところがこの3つの手術、実は初心者の手術と侮れません。特にヘモ=イボ痔の手術、超絶難しい症例が地雷のように隠れているのです。
私が医師になって3年目。2年間の研修医を経て、駆け出しの外科医の頃です。自分も「アッペ・ヘモ・ヘルニア」から外科医デビューしました。アッペとヘルニアは順調に症例を重ねていきましたが、「ヘモ」だけはそうはいきませんでした。なぜイボ痔の手術だけが?
とにかくまず術前診断がきちんとつかないことが多く、フタを開けてみると素人には荷が重すぎる高難度症例ばかりにあたってしまいました。まだビギナーの自分でも簡単にできるだろうと思いきや想定外に難しい症例で、慌てて上司とその場で選手交代しますが、外科医歴数十年のベテランが汗だくになって苦労しているのを目の当たりにしました。やっとの思いで手術を終えるも、その日の夜中にキズから出血して自分が呼ばれ、緊急止血を試みるも自分一人では歯が立たず、結局上司も呼び出して二人でヘトヘトです。しかも入院中の患者さんからは「痛い痛い」と訴えられ続け、回診で術後のキズを見ると手術前よりもひどくパンパンに腫れています…
こんな経験が何回か続き、明らかに自分が怯えているのがおそらく上司にも伝わったのでしょう。「痔は難しいんだよ。一日ヒマやるから、しばらく肛門科行って勉強してこい」
上司の紹介で見学に訪れた肛門科専門病院。そこはまさしく未体験ゾーンでした。おしりの症状だけの患者さんが大挙して訪れ、さんざん苦労した手術や大腸検査がそこではきわめてスムースに流れ作業で進んでいくのを見て「餅は餅屋」という言葉を身をもって感じました。
この経験で「専門を極める」ことの重要性を知ることになり、その後の自分の方向性を決めることになりました。
「最後の砦」
その後医師として10年経ち、人生のスランプに陥りました。そんなある日、たまたま以前見学した肛門科専門病院で働くチャンスを得ました。それまで携わってきた消化器がんの手術は、多くの外科医にとって一番大事な「花形」仕事とも言えます。対して、人の生き死にに関係ない痔の手術はがんを扱う外科医にとってはどうしても片手間仕事になりがちです。しかし痔の手術は良し悪しが術後たちどころに隠しようのない結果として現れます。悪い部分や出ている部分をただ切り取って、はいおしまい!では済みません。一見同じ手術のように見えてもベテラン上司と自分とでは術後の差が歴然です。「あの医者に手術してもらった人はみんな調子良い」「あの医者の術後はみんな痛がっている」術後の患者さん方の口に戸は立てられません。否応なく自分の耳にも噂は入ってきます。「何が違って術後の良し悪しに差が出るのか?」毎日手術のたびに先輩医師を質問攻めにし、自分でフィードバックを繰り返しました。肛門科での仕事に生きがいを見出し、その後延べ15年間の勤務で8千例以上の執刀機会を得られました。その間には他の病院でさじを投げられたような高難度症例(深い複雑痔瘻)の治療も多数経験し、いわば愛知県の痔の手術の最後の砦としての矜持を持って仕事をしてきました。長年にわたる数々の貴重な経験、そこから得られたノウハウは自分にとって大きな財産であり、これをぜひ皆さんにもっと手軽に提供できないか、と考えて現在に至ります。
「大腸内視鏡」
今までに経験したさまざまな手技のうち、自分はその習得にかなり難渋しました。
20年以上前、今と比べ内視鏡は太く硬く、検査は「痛くて当たり前」の時代でした。
先輩医師から「誰でも100例経験すれば、まあなんとかなる」なんて言われたものの、見様見真似ではとにかく内視鏡が全く前に進みませんでした。今になって考えれば当然ですが、数百例経験しても我流はしょせん我流。不適切な努力は無駄が多いです。「前回はこんなつらくなかったのに」とか、検査中「へたくそ!」と罵られたりもしました。こんなにもうまくいかないとは…センスがない人間だったのか…と自分を呪いながら、でもおかげで完全にやる気に火がつきました。習得は難しいが安全で楽な大腸内視鏡挿入方法である「軸保持短縮法」をマスターするために、達人といわれる先生のところに片っ端から見学に行き、試行錯誤を繰り返しました。すると、2千例を超えたくらいでその日は突然やってきました。物事の上達は一次関数のグラフの様な右肩上がりではなく、長い伸び悩みの後に突然起こることを身を持って体験しました。その後も数千例に一回くらい突然やってくるレベルアップを目指して日々精進しています。
現在は内視鏡自体の性能も格段に上がっていますし、「つらくない内視鏡検査」として、大腸だけでなく胃カメラでも眠り薬や麻酔を使うようになってきています。(もちろん当院でも行いますし、患者さんにとっては楽です)が、自分は「太くて硬い内視鏡で、痛み止めなど薬を全く使わず普通に意識のある患者さんを痛がらせずに検査する」という、高いハードルを最初のうちに数多く経験したこと。これが、薬の力を借りても借りなくても変わらず安定して安全に丁寧に検査を行うことができる基礎になっており、結果的に今大変役に立っています。
「痔と大腸がん」
消化器外科医時代には多数の大腸がん手術を経験しました。外科医として扱う大腸がんのほとんどは進行がん。残念ながら術後全ての患者さんで良い結果が得られるわけではありませんでした。どんな名医でも進行がんを100%治すことは不可能です。手術だけでは治療の限界があります。最大の治療は「がんを早く見つけること」です。「もう数年早く検査を受けていれば…」異口同音におっしゃる患者さんと接しているうちに、自身も早期発見早期治療の重要性を強く感じていました。
その後肛門科病院での勤務。肛門科医の最重要事項(存在理由と断言してもよいでしょう)は「肛門の症状が痔なのか大腸の病気なのかを選別すること」です。
初めの頃、肛門科の大腸検査は、肛門手術前に大腸がんが隠れていないかを確認するのが目的でした。そうすると予想外に多くの患者さんに大腸がんやポリープをはじめ様々な病気が見つかりました。中には痔になったおかげで早く大腸検査を受け、結果的に命拾いをされた方も多数おられます。「大腸がんを早期発見する役目は、肛門科医が最適である」と強く感じ、自分のライフワークにしようと決心しました。大腸がんは定期的な検査でほぼ予防できます。一人でも多くの患者さんとご家族が大腸がんで悲しむことのない未来を目指します。
【消化器内科】
【大腸検査(大腸カメラ】
日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医による内視鏡検査(大腸カメラ・胃カメラ)と診断・治療
【切らない痔の治療、痔の手術】
日本大腸肛門病学会肛門専門医による診断・治療
症状や不安があるのにそのままにしていると、病気が重くなり後で後悔することにもなりかねません。
早めの診断、早めの治療が一番です! まずは受診し、お気軽にご相談を!
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9:00~11:00、
12:00~15:00(手術・検査)
※手術・検査は予約制です
【休診日】木曜日、日曜日